見返弘法(三河のお遍路さん1)
次の晴れるかなのてくてくは 
三河新四国八十八ヶ所巡り
愛知県の中部から東部の三河地方を廻ります。
三河方面は車で出かけることがあって、国道や幹線道は知ってるけど細かい道までは知らないかな。
知多四国巡りの時は土地勘のある場所だったから
「多少道に迷ってもなんとかなるだろ・・・。」
みたいな余裕(?)があったけど、今回はそういうわけにはいかないかも
ぶっちゃけ、ちょい緊張気味 ( ̄~ ̄;)
どんな道中記になることやら・・・。
今回もお付き合いヨロシクお願いします
三河新四国八十八ヶ所霊場。
江戸時代の初めの寛永2年(1625年)開創の歴史ある霊場です。
その後、幾多の変遷を経て昭和39年(1964年)に再興されました。
今年は再興五十周年の記念宝印を押してもらえます。
知多四国と違ってわからないことだらけですがとにかく出発
名鉄知立(ちりゅう)駅からスタート。
駅から15分ほどてくてくして開創霊場遍照院を目指します
途中、「弘法通り」なんて場所もあって、場所も弘法町。
小さな大師像が祀られているのをいくつか見ました。
遍照院山門
広くきれいな境内です。
四国お砂踏み霊場
子育弘法大師
高さ十五尺(約4.5m)の大きな大師像。
子どもを抱いている姿から子授け、安産、子供の無事成長を願う人たちが訪れるそうです。
遍照院の弘法大師は見返弘法と呼ばれています。
弘仁十三年(八二二)の夏の真盛りの日暮れ時のことでした。
一人の旅のお坊さんがのどのかわきを覚えたので、ある一軒の農家に立ち寄られ水を所望されたのです。
その家の主人は心よく承知して、冷たい水を恵んでくれました。
でもその水は遠くから運んできたようすです。
おかしいと思ったお坊さんが、そのわけをたずねますと、
「はい。この辺りは土地が高いもんで、水が出ませんのじゃ。井戸も相当深く掘らんことには。それに井戸なんてものは、わしら貧乏百姓にはとても、とても。」
これを聞いたお坊さんは村人が水に苦労しているようすを察して、つと立ち上がると家の前のくぼ地に持っていた錫杖を立てました。
そして何やら唱えると、たちまちそこにこんこんと水がわき出てきたのです。
この家の者たちはみんな大喜びしました。
そうこうしているうちに里はもう暗くなりはじめてしいまい、お坊さんは一夜の宿をと頼みました。
その家の主人はその頼みに、
「お泊めしてもよろしいが、貧しい暮らしなので何も差し上げるものもありません。」
と断りました。するとお坊さんは、
「わしとて旅の一修行僧にすぎません。縁あって立ち寄ったのですから、雨風さえしのげれば結構です。」
と一夜を、その家の片すみで過ごされたのでした。
さてあくる朝、この家の主人はいつもひえのご飯ばかり食べていたのですが、水を出してくれたありがたいお坊さんだからと、病気の時のために大切にしまっておいたお米を一握りひえにまぜてご飯をたきました。
すると炊きあがったご飯は、全部輝くような白いお米のご飯に変わっていました。
あまりの不思議さに、それをお坊さんにお話すると、
「そなたの真心が、仏に通じたのでしょう。」
と言われて、そこではじめてお坊さんは、
「愚僧の名は、空海です。」
と名のられました。このお坊さんこそ、時の名僧といわれた空海上人、後の弘法大師だったのです。
たちまちこのことが近所の村むらに伝わり、「せめて、お徳を」と人びとがつめかけ上人はこの里を離れられなくなり、しばらくこの地にとどまられることになりました。
その間に上人は里の人たちのために、唐で学んできた新しい生活の知恵を教え、またたくさんの病人の苦しみをお救いになりました。
こうして上人は村人に慕われていましたが、どうしてもこの地を離れなくてはならなくなりました。
「どうぞいつまでもこの地にとどまって」と願う村人に上人は、たまたまこの地にあった赤目樫の木を切って自分の座像を三体刻まれて、
「この像を見ること、われを見る如くなせ。わが名を唱うるもの、かならず応護せん。」
といわれて、この地に別れをつげられました。
その三体の像のうち一体は、右を向いて大師と別れを惜しまれているようなので「見返り弘法」(遍照院)と言われています。
(知立の昔話から)
この見返弘法の像。
大師との別れを惜しんで、やや右を向いて振り返っているお姿だそうです。
(秘仏となっているためこの日は見ることができませんでした)
三体の像の残り二体は、後々に出てくるのでその都度ご紹介します。
さて、晴れるかなはこちらの遍照院で初めての体験をしました。
戒壇めぐりです。
本堂の地下道場を歩いていくのですが・・・
マジで真っ暗だて
あそこまで見事に何も見えないとはね
顔の目の前に挙げた自分の指先すら見えないんだから。
まったくの異空間。
歩いていくときに頼りになるのは壁。
壁に手を当てて探るようにしながら少しずつ先へ進みます。
もう一回言うけど、な~んにも見えないからd( ̄  ̄)
なんだけど、突然薄明かりの中に小さな大師像が現れて。
見方によっちゃ、ちょいちょい怖い
もちろんここではスルーするんじゃなくてちゃんとお参り。
三河のお遍路さん、しょっぱなから貴重な体験させてもらいました。
遍照院ご朱印
青いのが記念宝印です。
弘法山 遍照院
愛知県知立市弘法町弘法山19番地
名鉄「知立」駅下車、徒歩15分
大きな地図で見る
それでは一番札所総持寺へ向かいます
約20分のてくてくです

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三河新四国八十八ヶ所巡り
愛知県の中部から東部の三河地方を廻ります。
三河方面は車で出かけることがあって、国道や幹線道は知ってるけど細かい道までは知らないかな。
知多四国巡りの時は土地勘のある場所だったから
「多少道に迷ってもなんとかなるだろ・・・。」
みたいな余裕(?)があったけど、今回はそういうわけにはいかないかも

ぶっちゃけ、ちょい緊張気味 ( ̄~ ̄;)
どんな道中記になることやら・・・。
今回もお付き合いヨロシクお願いします

三河新四国八十八ヶ所霊場。
江戸時代の初めの寛永2年(1625年)開創の歴史ある霊場です。
その後、幾多の変遷を経て昭和39年(1964年)に再興されました。
今年は再興五十周年の記念宝印を押してもらえます。
知多四国と違ってわからないことだらけですがとにかく出発

名鉄知立(ちりゅう)駅からスタート。
駅から15分ほどてくてくして開創霊場遍照院を目指します

途中、「弘法通り」なんて場所もあって、場所も弘法町。
小さな大師像が祀られているのをいくつか見ました。
遍照院山門
広くきれいな境内です。
四国お砂踏み霊場
子育弘法大師
高さ十五尺(約4.5m)の大きな大師像。
子どもを抱いている姿から子授け、安産、子供の無事成長を願う人たちが訪れるそうです。
遍照院の弘法大師は見返弘法と呼ばれています。
弘仁十三年(八二二)の夏の真盛りの日暮れ時のことでした。
一人の旅のお坊さんがのどのかわきを覚えたので、ある一軒の農家に立ち寄られ水を所望されたのです。
その家の主人は心よく承知して、冷たい水を恵んでくれました。
でもその水は遠くから運んできたようすです。
おかしいと思ったお坊さんが、そのわけをたずねますと、
「はい。この辺りは土地が高いもんで、水が出ませんのじゃ。井戸も相当深く掘らんことには。それに井戸なんてものは、わしら貧乏百姓にはとても、とても。」
これを聞いたお坊さんは村人が水に苦労しているようすを察して、つと立ち上がると家の前のくぼ地に持っていた錫杖を立てました。
そして何やら唱えると、たちまちそこにこんこんと水がわき出てきたのです。
この家の者たちはみんな大喜びしました。
そうこうしているうちに里はもう暗くなりはじめてしいまい、お坊さんは一夜の宿をと頼みました。
その家の主人はその頼みに、
「お泊めしてもよろしいが、貧しい暮らしなので何も差し上げるものもありません。」
と断りました。するとお坊さんは、
「わしとて旅の一修行僧にすぎません。縁あって立ち寄ったのですから、雨風さえしのげれば結構です。」
と一夜を、その家の片すみで過ごされたのでした。
さてあくる朝、この家の主人はいつもひえのご飯ばかり食べていたのですが、水を出してくれたありがたいお坊さんだからと、病気の時のために大切にしまっておいたお米を一握りひえにまぜてご飯をたきました。
すると炊きあがったご飯は、全部輝くような白いお米のご飯に変わっていました。
あまりの不思議さに、それをお坊さんにお話すると、
「そなたの真心が、仏に通じたのでしょう。」
と言われて、そこではじめてお坊さんは、
「愚僧の名は、空海です。」
と名のられました。このお坊さんこそ、時の名僧といわれた空海上人、後の弘法大師だったのです。
たちまちこのことが近所の村むらに伝わり、「せめて、お徳を」と人びとがつめかけ上人はこの里を離れられなくなり、しばらくこの地にとどまられることになりました。
その間に上人は里の人たちのために、唐で学んできた新しい生活の知恵を教え、またたくさんの病人の苦しみをお救いになりました。
こうして上人は村人に慕われていましたが、どうしてもこの地を離れなくてはならなくなりました。
「どうぞいつまでもこの地にとどまって」と願う村人に上人は、たまたまこの地にあった赤目樫の木を切って自分の座像を三体刻まれて、
「この像を見ること、われを見る如くなせ。わが名を唱うるもの、かならず応護せん。」
といわれて、この地に別れをつげられました。
その三体の像のうち一体は、右を向いて大師と別れを惜しまれているようなので「見返り弘法」(遍照院)と言われています。
(知立の昔話から)
この見返弘法の像。
大師との別れを惜しんで、やや右を向いて振り返っているお姿だそうです。
(秘仏となっているためこの日は見ることができませんでした)
三体の像の残り二体は、後々に出てくるのでその都度ご紹介します。
さて、晴れるかなはこちらの遍照院で初めての体験をしました。
戒壇めぐりです。
本堂の地下道場を歩いていくのですが・・・
マジで真っ暗だて
あそこまで見事に何も見えないとはね

顔の目の前に挙げた自分の指先すら見えないんだから。
まったくの異空間。
歩いていくときに頼りになるのは壁。
壁に手を当てて探るようにしながら少しずつ先へ進みます。
もう一回言うけど、な~んにも見えないからd( ̄  ̄)
なんだけど、突然薄明かりの中に小さな大師像が現れて。
見方によっちゃ、ちょいちょい怖い

もちろんここではスルーするんじゃなくてちゃんとお参り。
三河のお遍路さん、しょっぱなから貴重な体験させてもらいました。
遍照院ご朱印
青いのが記念宝印です。
弘法山 遍照院
愛知県知立市弘法町弘法山19番地
名鉄「知立」駅下車、徒歩15分
大きな地図で見る
それでは一番札所総持寺へ向かいます

約20分のてくてくです


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この記事へのコメント
たぶんお戒壇巡りで有名なのは長野の善光寺だと思うんですケド、子供達は社会科見学で訪れるので必ずやるそうです。
なおは…閉所+暗所恐怖症なので絶対にムリです
子供達もパンフレットなんか貰ってきて記憶してるんだけど、お戒壇巡りをすると極楽浄土が約束されるんだとか?錠かなんかに触る事で約束されるような…
極楽浄土…約束されてもなおにはムリですから~
続きを楽しみにしています
今度は ちょっと遠いのね・・・。
弘法さんのお話し・・・
これもまた面白いというか
へぇ~~~って勉強なるし・・・。
いっしょに巡らせてもらいまっせ
で なおちゃんも書いてる戒壇巡り
善光寺さんでやりましたで~
って もう20年以上前やけど^^;
ホンマに真っ暗やった!!!
ただ 観光客だらけでみんなが列になってて
オバちゃんの声とかいっぱいしてたし
怖くなかったけど・・・
あれ一人やったら・・・
絶対無理やわ~~~~
↑に同じく・・・
楽しみに読ませてもらいます
今回は三河方面を廻ります。
後々には猿投・足助、豊川稲荷の方も行きます。
(なんとなく場所のイメージ湧くかな
善光寺の戒壇巡りは行ったことはないけど晴れるかなも知ってたに。
地元の人は「お」をつけるんだねぇ。
戒壇巡りではなく「お戒壇巡り」
なるほどねぇ
暗いのがダメってのはわかるけど、狭いところがダメてのは関係ないにd( ̄  ̄)
真っ暗で狭いのか広いのかもわからんで。
ただ学校の社会見学で行くとなると・・・。
ぶっちゃけ、迷惑な話って子もいるわな
今回は途中で弘法様にお参りする場所があっただけで、鍵とかはなかったなぁ。。。
晴れるかなの場合、極楽浄土なんてぜいたくは言わないから閻魔様の所だけは勘弁してちょって感じだて
今回はどんなお遍路さんになるか。
楽しみにしてちょ
知多四国の時は土地勘があっていく先々も大体の場所はイメージできたんだけど、今回はぶっつけ本番みたいな感じ。
国道や県道から一本奥の道に入ると全然わからんに
そうかぁ、善光寺くらいの有名所のお戒壇巡りだと行列が出来るわけね
あんな狭い場所でオバちゃん(特に関西系?)が騒ぐと怖いなんて気分吹っ飛んで、逆にやかましいくらいだわな
今回の晴れるかなはホント一人で入っていったんだけど、あの真っ暗な空間にはマジびっくりだて
今回は名古屋市内と違って山あり海ありのお遍路。
お付き合いヨロシクお願いします
お初なのに質問責めで申し訳ありません
初めまして。
早速ですがわかる範囲でご質問にお答えさせてもらいます。
1.スタートは開創霊場の遍照院です。ご朱印帳も遍照院で買うことができます。
2.僕は名古屋在住なのですが、その日訪れる最初のお寺の最寄駅までは電車で行き駅からはずっと徒歩です。1日で4~5箇所、10kmほどを歩き最後のお寺の最寄駅から電車で帰ります。なので厳密に言えば全行程を歩いているとは言えません。
3.服装は普段着です。
夏は水分補給としかりとした途中休憩です。木陰でスポーツドリンクを飲むだけでもいいし、時間に余裕があれば涼しい喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら20分ほど休むだけでも体力の回復も気分のリフレッシュもできるかと思います。
せれでもキツイと思ったら「今日はここまで」と割り切ることが大事だと思います。熱中症になっては大変ですから。。。
無量寺(六十一番札所 蒲郡市)が霊場会事務局となっています。
そのほか僕でわかることならお答えしますのでいつでもコメントを残してください^^